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間接的に行われる積極的な自殺 – What Remains of Edith Finch

Giant SparrowのWhat Remains of Edith Finch、買っていたのに気が付かないまま今まで積んでました。いざプレイしてみたら素晴らしい出来。

ジャンルは所謂Walking Simulator。代々不幸に見舞われるFinch家最後の生き残り、Edithが一族の住んだ家に戻り、家族に何が起こったのかを調べていくゲーム。

過去を振り返るというゲームの背骨が全くブレないという意味では骨太。骨格として「コントローラ越しの手触り」があり、些細な「鍵を開ける」「本を開く/閉じる」「蝶番を開く」など、執拗に操作のインタラクティビティに拘っている。骨を囲む筋肉となる美術、音響、演出は隆々とした高水準。一部、ライティングやコリジョンの甘さはあるけれど、そもそもそういうゲームじゃないし、スタックしても大人しく再起動すればよし。

Finch一族はEdithを残して全員死んでいるので、過去を探るというのは「この家族はどのように死んだか」を知るストーリーに他ならないのだけれど、その見せ方がビデオゲームでしかできない表現。死ぬ前の家族をプレイヤーが操作して、プレイヤーが自ら死に向かうという代物。

操作するのは過去に死んでいるキャラクターなので、プレイヤーが出来ることも「結果的に死に向かう結末に向けてWalking Simulatorを進めること」だけ。リニアなゲーム進行を避けられないWalking Simulatorというフォーマットを、不可避な死と結び付けた手法は、単に「上手い」だけでない。その渦中でプレイヤーに生まれるのは「なぜおれは自らの手で死のうとしているのか」「このシーンを進めなければ死なないのに」「だが、なぜ死んだのか気になる」という葛藤で、既に死んだ未来を知るプレイヤー視点と、主人公Edithが過去の不幸を想像するプロセスが一致している。

兄Lewisのシーンは最高で、鮭の頭を切断する単調なライン作業を延々と右スティックでこなす一方で、左スティックで中世だかファンタジーの世界で英雄になっていく表現は、誰もが抱く空虚な現実と空想のギャップを表現することに加えて、一方通行のゲームプレイというゲームジャンルのハックによって、当代随一の残酷描写。

他にも2世代前のMollyやCalvinの死も、死に至る一方通行をプレイヤーが自らの手の延長で行っている。食べてはいけないものを食べる、ブランコで一回転するだけの勢いをつける、執拗なまでにコントローラを通じた手触りを強調した結果として「自らの手で死に至る」感覚を否が応に押し付けてくる。

挙句の果てに例のエンディング直前、新しい命が生まれる表現があそこまでに残酷だった作品があったかという話で。

正直、コントローラを通じたインタラクションであれば、昨年のINSIDEの方が優れているし、ビジュアルも基本的に静的なライティングの割には…という部分はあるし、ゲームプレイもどのボタンがどの操作に相当するかが分かりにくいとかがあるんですけど、それ以上にGiant SparrowはTelltaleみたいに「このジャンルで戦っていく」んだ、ということを示した作品だと思います。マジ傑作。

蛇足ですが、ローカライズのクオリティは時折首を傾げる程度で概ね良好なんですけど、邦題だけは許せない…!”フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと”じゃねえだろう。原題は「Edith Finchに連なる者達」と「Edith Finchに何が起きたのか」のマルチミーニングで、本作のエンディングが完全に台無し。意味が通らなくなるくらいならわざわざ変えなくていいんだよ!原典に敬意を払わねえからマーケティングって真似が嫌われるんだよ。